意志される秩序

真正な現象観の可能性

法としてのインターネットアーキテクチャ2: ローレンス・レッシグ『CODE and other laws of Cyberspace』

 

プログラマーは、ネットユーザーに何が出来て何が出来ないかを決める能力=コードを扱っている

コードの構造と、そのコードが可能にする世界とのつながり。コードはサイバー空間をつくりあげる。空間は、人や集団に力を与え、奪う。したがってコードについての選択は、だれが、なにが、そして何よりも、どんな形の生活が力を与えられ、どんなものが力を与えられないのか、という選択でもあるのだ。 *1

私達が利用するWebサービスの機能は、コードを書くことによって実現されている。コードによって表現することの出来ない機能性はそもそもサービスとして実現せず、私達が利用できることもない。コードとは法だ(前回)。

ネットユーザーなら誰もが知っている通り、Webサービス毎にそれを利用するユーザーの特徴は異なっていて、自然に棲み分けがなされている。では、あるWebサービスに居座る人と離れていく人の違いはどこにあるのだろうか?

一般的に、ユーザーは自分にとって有効な機能性を行使する権利と能力を与えてくれるサービスを重用し、頻繁に利用するだろう。

ところで、ユーザーは、Webサービスの支配する空間の中においてのみ、サービスの提供する機能性を行使する事ができる。

更に、この機能性は、プログラマーがサービスを実現しているプログラムのコードを数行変えるだけで全く様変わりしたり、致命的なバグが生じて行使不可能になったりしうる。また、プログラマーがサービスの実装にあたり採用する技術が変更になったり、サービスの仕様が変わったりしていく中で、サービスの提供する機能群の構成は徐々に変化していく。

ユーザーはそのような、時に非本質的な、時に本質的なサービスの機能性の変化に対して、受動的であることしかできない: サービスの利用を辞めるのか、はたまたサービスが新たに提供する機能群に適応するようにして、自分が必要としている機能性を再定義するのか。

私達ネットユーザーがWebサービスの利用を危惧すべきだとすれば、後者の対応を取るようなことをまさに危惧すべきだ。つまりWebサービスの変遷に追随して自身の機能性を再定義することで、Webサービスを使っているのか、Webサービスに使われているのか区別がつかないような状態に陥ることを。

見方によってはそれは"最先端のWebの文化への柔軟な適応"として肯定的に捉えられなくもない。というか、今日のネットユーザーはほぼほぼそんな風に捉えるのかもしれない。ここで私は、Webサービスの機能性に適応的であるべきだとか、適応的でないべきだとか言うつもりはない。しかし、そもそもWebサービスの機能群というのは、ネットユーザーが抗えないような方向から、私達の本当の需要とは独立的かつ恣意的に変更可能であるということには注意を払うべきだと思う。

仮にWebサービスの機能が、私達ネットユーザーにとってわかりづらい形で不利益になるように変更されたとして、それがポッと出のサービスならただ利用中断すればいい。しかし既に利便性が広く評価され、社会の様々な意味での各種階層に深く根付いてしまっているサービス*2なら話は別で、そういう変更を泣く泣く受け容れることが現実的になりうる。

前回の話と絡めつつ話をまとめる。

あるサイバー空間においては、コントロールの主導権が各ネットユーザーにある: 私達ネットユーザーが自分の生活に必要な機能を提供してくれるWebサービスを自由かつ能動的に選択する。必要な機能を提供してくれなくなったサービスの利用は中断し、代替サービスを見つける。

警戒すべき種類のコントロール下に置かれているサイバー空間においては、コントロールの主導権はプログラマー、ひいてはそのプログラマーを統制する経済的・政治的機構にある: 私達ネットユーザーの目に触れ利用できるサービスはそういうコントロールを経て絞り込まれたものである。また当然ながら、それらのサービスの機能性は、そのコントローラー(統制性)が私達ネットユーザーに行使できることを許す機能性のみに限られている。

実際にそのようなコントロールがなされているか否かというのは精密な議論を必要とする問題だ。しかし確かなのは、プログラマーとその上部構造は、ネットユーザーに何が出来て何が出来ないのかを、コードを介して制御することが可能であるし、インセンティブが存在し法が許す限りはそれをしない方がむしろおかしいということである。

サイバー空間の機能性の変更への対抗手段とプログラマーの優位性

コードが持っている原理的可能性の全体像を漠然とでも理解していれば、話は少し変わってくるかもしれない。Webサービスが導入した機能変更の、コードに出来ること全体における位置づけから、その変更の妥当性や本質的意味を洞察することが可能になる。

 

*1:ローレンス・レッシグ: CODE and other laws of Cyberspace. p.119

*2:それらのサービスは今日、"ユーザーに提供する利便性の向上"という名目で、ユーザーの個別情報を事細かに収集する。情報収集の機能と、実際にユーザーへの利便性の提供の機能とが複雑かつ密接に混じり合って構造化されているので、私達は機能性の行使と引き替えに個別情報を売り渡さざるを得ない。コードがそう書かれている以上それに抗うことは出来ない。